清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

心のね コントロールを 知らないな

今日はこどもの日。私が購読している読売新聞も、気合を入れた社説を書いているが、空回りしているようだ。以下、検討する。

「こどもの日 「ありがとう」あふれる社会に(5月5日付・読売社説)」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090504-OYT1T00906.htm

「感謝よりも抗議や非難の声の方が社会にあふれ、このところ少し耳に届きにくくなってきた」ことが悪いかはわからない。逆に、昔の人は感謝しかしようがなかったが、今の人は知識を持っているから「抗議や非難」をするのではないか(ロバート・ライシュ『暴走する資本主義』(東洋経済新報社)を見ると、消費者が強くなっているそうだ)

「問題が生じた時にきちんと責任追及することは当然だが、最近はクレーマーと呼ばれる、理不尽に抗議する人も目立つ」→私も抗議をすることはあるが、「理不尽な抗議」のつもりはなく、一方、対応する側の「理不尽」の方があるように感じる(なってない反論をするか、「ふんふん、わかりました」と口先だけ言っている、など)。「クレーマー」呼ばわりして改善を拒もうとしているのではないか?なかなか難しいが、「クレーマー」=「理不尽に抗議する人」とすることで、結局サービス供給者側がやりたい放題になることが懸念される。

「病院で医師と患者が、学校で教師と生徒・保護者が、信頼ではなく不信を前提に向かい合っているとすれば、それは互いに感謝と思いやりを二の次にしているからではないか」→断言はできないが、おそらくは、患者、生徒・保護者が(抗議できるほどの)知識を持つことができるようになったというのが現実ではないか?それを「感謝と思いやり」の問題にしてはいけない。

文部科学省は今年度、小中学校の道徳教育に用いる教材「心のノート」を改定した。(改行)小学校低学年版に「ありがとうカードをあげよう」という項目がある。家や学校や近所で、お世話になっている人に、感謝の気持ちをカードにして渡す。受け取った大人にはちょっとした“宝物”になりそうだ。(改行)中・高学年と中学生版にも、感謝の気持ちを言葉にしてみる項目が盛り込まれている。とても大切なことだ。伝える手段はインターネットや携帯メールでもいい。(改行)こうした取り組みを学校だけにまかせてはいけない。きょうは、子どもたちが持っている「心のノート」を親子で開き、だれもが多くの人に支えられていることを語り合ってはどうだろう。」→まず、「ありがとうカード」をもらっても、それなりには微笑ましくなろうが、所詮子どもの遊びとも思うのでは?安易に「心のノート」を持ち出しているが、「心のノート」は、使い方によってはマインド・コントロール(その狙いは、抽象的に書けば反対意見の抑圧)になることぐらい、新聞記者がわからなくてどうする!アマゾンあたりで、「心のノート」で検索して、批判本を買って読めよ!

この社説、建前は、読んでのとおりなのだろうが、ホンネは、「俺たちのようなサービス供給者のやることには逆らうな!」ということのようで、消費者にとっては重大な脅威で、国賊といえよう。