清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

江川紹子 実は頭が 悪いみたい

『Togetter』「お気に入り江川さんの『死刑制度を廃止するということは…』の前後」(yachimonさんが執筆と思われる。2010年9月12日アクセス。http://togetter.com/li/49163
によると、ジャーナリストの江川紹子さんが、「死刑制度を廃止するということは、オウムの」教祖「のように、自分を信じて集ってきた者たちを使って、自らの野望を満たすために多くの人々を殺傷し、その後も弟子のせいにしたりして全く反省をする気もない人を、国民の税金で何十年もお世話して差し上げるということなんですよ」と言ったとか(ツイッターで確認(http://twitter.com/amneris84/status/23989169157
。なお、「amneris84」もクリックされたし)。

率直に言って、間違って死刑になる人が出るのなら、「全く反省をする気もない人を、国民の税金で何十年もお世話して差し上げる」方がましである。

ただ、若干誤解しているのではないか?単に「お世話して差し上げる」わけではなく、「刑事施設に拘置して所定の作業を行わせる」(刑法第12条第2項)のだけれど。むしろ、死刑を言い渡された後に執行しない状況(病気の可能性があることはさておき、今のオウムの教祖の状況)こそ「お世話して差し上げる」ことなのだが。

江川さんは、「冤罪が発生する要因がいろいろあるわけだから、それをなくすことにこそ全力を上げるべきでは」(amneris84 2010-09-09 16:13:26 。上記『Togetter』参照)とも言っているようだが、「なくす」ことができると本気で思っているのだろうか?たとえて言えば、人間は完全なものを作れるし、ミスをしないこともできると言っているようなものだ(ありえない!)。

江川さんは、「冤罪事件(中略)の取材なども行ってき」(『江川紹子ジャーナル』「プロフィール」(http://www.egawashoko.com/c005/
参照。この部分の引用に問題があることは自覚しております)たそうだが(実は、名張毒ぶどう酒事件の集会で江川さんを見たことがある)、冤罪とされる人が死刑執行されても「全く反省をする気もない人を」などと言うつもりなのだろうか?

一連の発言を見た限りでは、江川さんは、横のつながり(ここでは、冤罪と死刑)を意識できない、頭の悪い人のようだ。

蛇足を付け加えると、冤罪は、死刑のみならず、自由刑などでも起こる。しかし、自由刑などならば、刑事補償(憲法第40条)など、不十分ながらも回復の可能性はある(過大評価も過小評価も不可)。しかし、死刑になってしまったら、本人が刑事補償などの回復措置を受けられないのだから、質的に違うという説が正しい。

*タイトル敬称略