清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

「『納税額』」 「『常識テスト』」 意味がない

読売新聞東京本社版2013年7月29日朝刊13版7面の『週刊ポスト』2013年8月9日号の見出し「選挙権は「納税額」や「常識テスト」で免許制にする」って、すっげぇ~バカだな、という話。

 
何で納税額の基準が必要なの?不幸にも長期失業だったり、固定資産がない老人は政治に口を出すな!とでも言うのか?彼らなりの主張を政治に反映させることのどこがいけないんだ?また、18歳以上であれば、働く人も勉強する人もいるが、勉強する人の研究結果を政治に反映させることのどこがいけないんだ? 以上、極めて馬鹿げていること、明らか。
 
「「常識テスト」」については、NEWSポストセブン「政治の暴走は自動車の暴走より危険 選挙にも免許制度が必要」(2013年7月30日7時。http://www.news-postseven.com/archives/20130730_202612.html
)に載っているようだ。
 
NEWSポストセブンによると、「主権の行使は選挙の投票である。私はこれを免許制にすべきだと考える。自動車運転に免許制があるのは、その危険を防ぐためである。しかし、考えてもみよう、自動車の暴走と政治の暴走のどちらが危険か。政治の暴走に決まっているだろう。それなのに、自動車のみに免許制があり、選挙権には免許制がない。この不合理こそ、なんとかしなければならない」だとか、「私(呉智英さん。清高補足)が考える選挙権免許試験は、ごく常識的な中学校卒業時までに身につけておくべき客観的な知識を問うだけである」だとか、ある。
 
まず前者。自動車免許というのは行政法上の「許可」であり(有斐閣法律学小事典』(第3版(最新版ではない)。p227)、それは「私人が本来持っている自由」だが「法令によってある行為が一般的に禁止されているときに、特定の場合にこれを解除し、適法にその行為をすることができるようにする行政行為」だが(行政法の阿部泰隆先生(「阿部泰隆の研究・出版」参照。http://www.ne.jp/asahi/aduma/bigdragon/study.html
)によると、「一般的禁止(不作為義務)を特定の場合に解除し、適法に特定の行為をなすことを許すこと」であり、「自動車免許」を含む。

許可(きょか)とは - コトバンク

をご一読)、なぜ選挙(政治家を選ぶこと)が禁止されるのかがわからないし、意味不明である。
 
次は後者。選挙ごとに支持政党(や候補者)が変わる人が「『ごく常識的な中学校卒業時までに身につけておくべき客観的な知識』」がないという証拠でもあるのだろうか? 知識があって熟慮の上で政党を変える人ぐらい容易に想定できよう。
 
NEWSポストセブンには「主権の暴走」とあるが、日本の場合は小選挙区のウェイトが大きいことをまっさきに疑うべきであろう(精査していないので断言はできないが。なお、参議院の選挙区(都道府県1区)は、47のうち29が1人のみ当選だから、小選挙区)。
 
それにしても「一票の格差に目くじらを立てるよりも」って何?平等な場合に比べて少なくしか代議士を出せない有権者のことを考えたことがあるのか?
 
というわけで、『週刊ポスト』の小学館、ならびに呉智英さんは、バカ認定でいいだろう。