清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

日本製鉄よ なぜ和解しないんだ?

まずは山本晴太(福岡県弁護士会所属 弁護士)が制作・管理者である、『法律事務所の資料棚 アーカイブ』にある、「新日鉄住金徴用工事件再上告審判決
(大法院2018年10月30日判決)」http://justice.skr.jp/koreajudgements/12-5.pdf から引用する。

 1. 基本的事実関係
 差戻し前後の各原審判決及び差戻判決の理由と差戻し前後の原審が適法に採用した各証拠によれば次のような事実が認められる。

ア 日本の韓半島侵奪と強制動員など
 日本は 1910 年 8 月 22 日の韓日合併条約以後、朝鮮総督府を通じて韓半島を支配した。日本は 1931 年に満州事変、1937 年に日中戦争を引き起こすことによって次第に戦時体制に入り、1941 年には太平洋戦争まで引き起こした。日本は戦争を遂行する中で軍需物資生産のための労動力が不足するようになると、これを解決するために 1938 年 4 月 1 日 「国家総動員法」を制定・公布し、1942年「朝鮮人内地移入斡旋要綱」を制定・実施して韓半島各地域で官斡旋を通じて労働力を募集し、1944 年 10 月頃からは 「国民徴用令」によって一般韓国人に対する徴用を実施した。太平洋戦争は 1945 年 8 月 6 日に日本の広島に原子爆弾が投下された後、同月 15 日、日本国王アメリカをはじめとする連合国に無条件降伏を宣言することにより終結した。

イ 亡訴外人(「訴訟受継人」が原告1。筆者補足)と原告 2、原告 3、原告 4(以下「原告ら」という)の動員と強制労動被害及び帰国の経緯
(1) 原告らは 1923 年から 1929 年の間に韓半島で生まれ、平壌、保寧、群山などに居住していた人々であり、日本製鉄株式会社(以下「旧日本製鉄」という)は 1934 年 1 月頃に設立され、日本の釜石、八幡、大阪などで製鉄所を運営していた会社である。
(2) 1941 年 4 月 26 日、基幹軍需事業体である旧日本製鉄をはじめとする日本の鉄鋼生産者らを総括指導する日本政府直属の機構である鉄鋼統制会が設立された。鉄鋼統制会は韓半島労務者動員を積極的に拡充することにして、日本政府と協力して労務者を動員し、旧日本製鉄は社長が鉄鋼統制会の会長を歴任するなど鉄鋼統制会で主導的な役割を果たした。
(3) 旧日本製鉄は 1943 年頃平壌で大阪製鉄所の工員募集広告を出したが、その広告には大阪製鉄所で 2 年間訓練を受ければ技術を習得でき、訓練終了後には韓半島の製鉄所で技術者として就職できると記載されていた。亡訴外人と原告 2 は 1943 年 9 月頃上記広告を見て、技術を習得して我が国で就職できるという点にひかれて応募し、旧日本製鉄の募集担当者と面接して合格し、上記担当者の引率下に旧日本製鉄大阪製鉄所に行き、訓練工として労役に従事した。
 亡訴外人と原告 2 は大阪製鉄所で 1 日 8 時間の 3 交代制で働き、ひと月に1、2 回程度外出を許可され、ひと月に 2、3 円程度の小遣を支給されたのみで、 旧日本製鉄は賃金全額を支給すれば浪費する恐れがあるという理由をつけて、亡訴外人と原告 2 の同意なく彼らの名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し、その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。亡訴外人と原告 2 は火炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり、鉄管の中に入って石炭の燃え滓をとり除くなど、火傷の危険があり技術習得とは何ら関係がない非常につらい労役に従事したが、 提供される食事の量は非常に少なかった。また、警察官がしばしば立ち寄り、彼らに「逃亡しても直ぐに捕まえることができる」と言い、寄宿舎にも監視者がいたため、逃亡を企てることもできず、原告 2は逃亡したいと言ったことが発覚し、寄宿舎の舎監から殴打され、体罰を受けたこともある。

 そのような中で日本は 1944 年 2 月頃から訓練工たちを強制的に徴用し、それ以後は亡訴外人と原告 2 に何らの対価も支給しなくなった。大阪製鉄所の工場は 1945 年 3 月頃にアメリカ合衆国軍隊の空襲で破壊され、この時訓練工らのうちの一部は死亡し、亡訴外人と原告 2 を含む他の訓練工らは 1945 年 6月頃、咸鏡道清津に建設中の製鉄所に配置されて清津に移動した。亡訴外人と原告 2 は寄宿舎の舎監に日本で働いた賃金が入金された貯金通帳と印鑑を引渡せと要求したが、舎監は清津到着後も通帳と印鑑を返さず、清津で一日に 12 時間もの間工場建設のための土木工事に従事したにもかかわらず賃金は全く支給されなかった。亡訴外人と原告 2 は 1945 年 8 月頃、清津工場がソ連軍の攻撃により破壊されると、ソ連軍を避けてソウルに逃げ、ようやく日帝から解放された事実を知った。
(4) 原告 3 は 1941 年に大田市長の推薦を受け報国隊として動員され、旧日本製鉄の募集担当官の引率によって日本に渡り、旧日本製鉄の釜石製鉄所でコークスを溶鉱炉に入れ溶鉱炉から鉄が出ればまた窯に入れるなどの労役に従事した。上記原告は、酷いほこりに苦しめられ、溶鉱炉から出る不純物につまづいて転び、腹部を負傷して 3 ヶ月間入院したこともあるが、賃金を貯金してやるという話を聞いただけで、賃金は全く支給されなかった。労役に従事している間、最初の 6 ヶ月間は外出が禁止され、日本憲兵たちが半月に一回ずつ来て人員を点検し、仕事に出ない者には仮病だと言って足蹴にしたりした。上記原告は 1944 年になると徴兵され、軍事訓練を終えた後、日本の神戸にある部隊に配置され、米軍捕虜監視員として働いていたところ解放になり帰国した。
(5) 原告 4 は 1943 年 1 月頃、群山府(今の群山市)の指示を受けて募集され、旧日本製鉄の引率者に従って日本に渡り、日本製鉄の八幡製鉄所で各種原料と生産品を運送する線路の信号所に配置され、線路を切り替えるポイント操作と列車の脱線防止のためのポイントの汚染物除去などの労役に従事したが、逃走して発覚し、約 7 日間ひどく殴打され、食事も与えられなかったこともあった。上記原告は労役に従事する間賃金を全く支給されず、一切の休暇や個人行動を許されず、日本の敗戦後、帰国せよという旧日本製鉄の指示を受けて故郷に帰って来ることになった。 

(「新日鉄住金徴用工事件再上告審判決(大法院2018年10月30日判決)」2~4ページ)

この事実関係を見て、読者が裁判官としたら、どう思うだろうか。

 

筆者であれば、 

 

「ひと月に1、2 回程度外出を許可され、ひと月に 2、3 円程度の小遣を支給されたのみで、 旧日本製鉄は賃金全額を支給すれば浪費する恐れがあるという理由をつけて、亡訴外人と原告 2 の同意なく彼らの名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し、その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた」

 

「提供される食事の量は非常に少なかった。また、警察官がしばしば立ち寄り、彼らに『逃亡しても直ぐに捕まえることができる』と言い、寄宿舎にも監視者がいたため、逃亡を企てることもできず、原告 2は逃亡したいと言ったことが発覚し、寄宿舎の舎監から殴打され、体罰を受けたこともある。」

 

「日本は 1944 年 2 月頃から訓練工たちを強制的に徴用し、それ以後は亡訴外人と原告 2 に何らの対価も支給しなくなった」

 

「亡訴外人と原告 2 は寄宿舎の舎監に日本で働いた賃金が入金された貯金通帳と印鑑を引渡せと要求したが、舎監は清津到着後も通帳と印鑑を返さず、清津で一日に 12 時間もの間工場建設のための土木工事に従事したにもかかわらず賃金は全く支給されなかった」

 

「上記原告(原告3のこと。筆者注)は、酷いほこりに苦しめられ、溶鉱炉から出る不純物につまづいて転び、腹部を負傷して 3 ヶ月間入院したこともあるが、賃金を貯金してやるという話を聞いただけで、賃金は全く支給されなかった。労役に従事している間、最初の 6 ヶ月間は外出が禁止され、日本憲兵たちが半月に一回ずつ来て人員を点検し、仕事に出ない者には仮病だと言って足蹴にしたりした」

 

「逃走して発覚し、約 7 日間ひどく殴打され、食事も与えられなかったこともあった。上記原告は労役に従事する間賃金を全く支給されず、一切の休暇や個人行動を許されず、日本の敗戦後、帰国せよという旧日本製鉄の指示を受けて故郷に帰って来ることになった」

 

のようなひどいことをされた原告を救済したいと思った。

 

実際の裁判は法理論や条約締結について証拠に基づいて原告勝訴(被告(旧日本製鉄。現日本製鉄)の上告を棄却)を導いているが、原告を勝たせることがすごくおかしいという話ではない。

 

ところが、これについて、日本政府は対抗措置をちらつかせ(「徴用工訴訟の現金化 対抗措置準備も関係悪化望まず 日本政府」(2020年8月3日18時26分)

www.sankei.com

、新聞社説は事実を無視して韓国政府に対する批判をしている。

毎日新聞2020年8月5日社説「徴用工問題の深刻化 韓国は最悪の事態回避を」https://mainichi.jp/articles/20200805/ddm/005/070/096000c

日本経済新聞2020年8月4日社説「[社説]「元徴用工」発の連鎖を止めよ」(有料記事)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62280630U0A800C2SHF000/

産経新聞社説「【主張】「徴用工」問題 現金化なら直ちに制裁を」https://www.sankei.com/column/news/200805/clm2008050003-n1.html

 

しかし、「強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたとは認めがた
い」(「新日鉄住金徴用工事件再上告審判決(大法院2018年10月30日判決)」15ページ)という判決が出れば「条約上の義務を履行しないことを正当化する根拠として国内法を持ち出すことはできない」(毎日新聞2020年8月5日社説)という話ではない(条約の範囲外という話であって、国内法が優先されるという話ではない。なお、判決は「国内法」ではない。大韓民国憲法(1987年10月29日公布)第40条、第103条参照)。

 

一方、法的構成が似ている、中国人強制連行に関する三菱マテリアルが被告の事件は和解が成立した(

kiyotaka-since1974.hatenablog.com

参照)。そもそも日本製鉄よ、なぜ和解しないんだ?

 

ただ、それは日本製鉄に酷な話かもしれない。それは、日本製鉄は、政府が和解させないように画策しているからである。リテラ「徴用工判決ヒステリーの日本マスコミが触れない事実…安倍政権が新日鉄住金に圧力をかけ“和解”を潰していた!」(2018年11月1日10時32分)(2ページ目)をご一読。

lite-ra.com

 

え、リテラだから信用できない?それが最近、文春オンラインで、菅野朋子さんが同様の内容を記事にしている。「元徴用工訴訟・日本製鉄の資産が今日から現金化可能に 「彼らさえ動けば……」原告側が語る“落とし所”」(2020年8月4日)の2ページ目

bunshun.jp

に、

「『日本製鉄は2018年の大法院(韓国の最高裁判所)の判決前までは話し合いには応じてきてくれていた。ところが判決が出た後、一切応じてくれませんでした。門前払いです。

 原告代理人側は円満な解決を求めていました。

 それが、日本政府は日韓請求権協定で解決済みというガイドラインで日本製鉄に圧力をかけて話し合いに応じないようにしている。しかし、今回の訴訟は、今も有効な個人請求権による、個人と企業の民事訴訟です。行政は司法に介入できません。(以下略)』」

(「元徴用工訴訟の原告代理人三菱重工業関連)のひとり、崔鳳泰弁護士」の話。「元徴用工訴訟・日本製鉄の資産が今日から現金化可能に 「彼らさえ動けば……」原告側が語る“落とし所”」より)

とある。

 

事実としては旧日本製鉄が悪いのは明らかで、和解で悪いところは何もないのに(三菱マテリアルと中国人の和解と同様だから。また、日本製鉄のイメージアップにもなる(植民地支配下の活動を反省している))のに、日本政府に横やりを入れられているということである。

 

ともあれ、日本政府の不介入と、日本製鉄の勇気ある和解(といっても裁判外になるので裁判の執行を止めるのは難しい)を求めたい。