清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

日本なら 脅迫すれば 楽勝だ(4)

産経新聞のウェブ版「不自由展中止 津田氏の懸念を実行委が拒絶 リスク承知で展示か」(2019年8月16日18時50分。アドレスは*1)によると

愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題で、元慰安婦を象徴する少女像について、芸術祭の芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏が事前に懸念を示して展示を見合わせようとしたものの、企画展の実行委員会から拒絶されていたことが16日、分かった

という。

 

実行委員会の主張に理がありそうだ。以下、*1から引用する。

少女像については今年2~3月の打ち合わせで、「様々な懸念が予想されるため、実現が難しくなるだろう」と伝えた。しかし実行委から「少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲」と断固拒否された

とのこと。厳密に言えば、検閲の主体は行政権だが(判例)、例えとしては間違っていない。

 

昭和天皇の肖像を燃やすような映像についても、作者に「新作の出展はコンセプトになじまない」と伝えたが、受け入れられなかった」については、津田さんに一理。というのは「情の時代 あいちトリエンナーレ2019 表現の不自由展 その後」(*2)によると、

「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。(略)今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する

ということだからである。津田さんの発言が事実であれば、たしかに「「コンセプトになじまない」」(*1)。もっとも、だから中止すべきだとまではいかないが。

 

津田さんのまずいところは、

「現場のリスクを減らす判断をするか、“作家(不自由展実行委)”の表現の自由を守るかという難しい2択を迫られた」

のところ。どちらもである。ただ、現場のリスクを0にすることはできないから、この点からは、後者を選択するのは当然である。

 

*1には「議論を呼びそうだ」とあるが、結論は決まっている。犯罪に屈してはいけないことから、速やかに再開すべきだし、仮にそういうことがなくてもやめるべきではない。関心を持つお客さんのことをもっと考えよう。

*1 https://www.sankei.com/life/news/190816/lif1908160021-n1.html

*2 https://aichitriennale.jp/artist/after-freedom-of-expression.html

東浩紀 辞任はグッド ニュースかな(日本なら 脅迫すれば 楽勝だ(3))

「あいちトリエンナーレ2019」の『表現の不自由展・その後」は、脅迫行為等で、残念ながら2019年8月3日に中止になったが(*1)、その中でも一服の清涼剤と言えるニュースを。

 

産経新聞「愛知芸術祭アドバイザー東浩紀氏が辞意「善後策提案採用されず」」*2 によると、東浩紀さんが辞任したという。

 

産経新聞の記事によると、

慰安婦を象徴する少女像について「政治的に利用されてしまった」とし、昭和天皇を扱った作品は「過激な表現が多くの市民にショックを与えた」と分析。「外交問題に巻き込まれたこと」と「市民への説明不足」について誠実に謝罪し、市民や作家を巻き込んだ議論を行うべきだと津田大介芸術監督に提案したと明かした。また「『表現の自由』vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村(秀章愛知県)知事が作り出した偽の問題だ」とした

とのことだが、こういう能力のない人の辞任は、短期的には残念だが、長期的に、ならびに、日本のためには大変結構である。

 

そもそも「『政治的に利用されてしまった』」て、誰が?脅迫行為?犯罪がか?

 

「『過激な表現が多くの市民にショックを与えた』」として、何か悪いの?芸術作品ってそんなものだろ。ピカソゲルニカの展示も問題なのか?

 

「『外交問題に巻き込まれたこと』」もよくわからなので飛ばして、 「『市民への説明不足』について誠実に謝罪し、市民や作家を巻き込んだ議論を行うべきだ」って、そんな暇があったら再開しかないんだって、暴力に屈しないためにも。なお、「『説明不足』」という事実がないのは、*3と*4をご覧ください(もっとも、*4は微妙だが)。

 

「「『表現の自由』vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村(秀章愛知県)知事が作り出した偽の問題だ」」とするが、じゃ、本物の問題は?

 

暫定版だが、東さんの答えは、*5にある。それによると、「それ以上はいえません」だって。それじゃわからないよぅ。

 

 現状では、東さんが言う「「表現の自由」vs「テロと検閲」という構図にすべてを還元する構図」(*5)以外の判断が難しいのは、東さんの説明が足りないからである。

 

まぁ、肝心なこと(犯罪に屈しないことなど)を忘れ、グダグダいう人がいなくなって、結構なことであった。

 

*1 中日新聞「表現の不自由展、中止 あいちトリエンナーレ」(2019年8月4日。https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019080402000069.html

*2 2019年8月14日23時19分。https://www.sankei.com/life/news/190814/lif1908140038-n1.html

*3あいちトリエンナーレ2019HP内「表現の不自由展・その後【展示は中止しております】」https://aichitriennale.jp/artwork/A23.html

*4あいちトリエンナーレ2019テーマ・コンセプト解説(以下のアドレスの右下。https://aichitriennale.jp )

*5 東浩紀さんの2019年8月15日0時40分のツイート。

https://twitter.com/hazuma/status/1161663801613139968

なお、東さんのその他のツイートは精査していません。

 

追記 Buzzfeed News「東浩紀があいちトリエンナーレのアドバイザー辞任へ 「“表現の自由vs検閲とテロ”は偽の問題」」(神庭亮介。2019年8月14日8時16分。https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/azuma

)に東さんの、本エントリーで検討した内容より詳しい言い分がある。

 

 今回「表現の不自由展」が展示中止に追い込まれた中心的な理由は(略)天皇作品に向けられた一般市民の広範な抗議の声にあります。津田さんはここに真摯に向かい合っていません。/それら抗議は検閲とはとりあえずべつの問題です。日本人は天皇を用いた表現にセンシティブすぎる、それはダメだと「議論」することはできますが、トリエンナーレはその日本人の税金で運営され、彼らを主要な対象としたお祭りでもあります。芸術監督として顧客の感情に配慮するのは当然の義務です。/この問題を「表現の自由」vs「検閲とテロ」の構図でとらえているかぎり、そこには出口がありません(略)津田監督は、早急に、表現の自由は守る、「だからこそ」の展示中止であり再設定なのだという論理をつくり、作家を説得しなければなりません。(略)/(略)海外のアーティストは表現の自由を訴えている。けれどもそれは日本の市民には特定のイデオロギープロパガンダに賛同する党派性のように見える。このようなねじれを作り上げた責任は津田さんにあり、彼はそれを早急に解きほぐさねばなりません。/ぼくは今回アドバイザーを辞任しましたが、ぼくが辞任したのは、このようなことを自由に言うためでもあります。今後、「海外の現代美術作家」vs「日本の市民」という不毛な対立構図が作られないよう、微力ながら情報を発信できたらと考えています(略)。

 正直、(何言ってるんだ、コイツ)としか言いようのない話である。

 

もちろん、「抗議」は「検閲」のわけがない(後者は行政権が行うものだから(判例))。しかし、「顧客の感情に配慮するのは当然の義務」などと言い出したらすべての展覧会ができなくなる(「顧客の感情」は千差万別だから)。

 

「津田監督は、早急に、表現の自由は守る、「だからこそ」の展示中止であり再設定なのだという論理をつくり、作家を説得しなければなりません」もよくわからない。安全を確保したから、また、完全に犯罪行為を防げないから、再開、だってあり得る話だろう。現状のテロに屈している状況を肯定的に評価することはできないし。

 

「海外のアーティストは表現の自由を訴えている。けれどもそれは日本の市民には特定のイデオロギープロパガンダに賛同する党派性のように見える。このようなねじれを作り上げた責任は津田さんにあり」って、ないない(苦笑)。日本の市民を馬鹿にするのもいい加減にしろ(日本の市民が多様なのに対し、アーティストが表現の自由を訴えるのは一様でも正しいから)!

 

「「海外の現代美術作家」vs「日本の市民」という不毛な対立構図が作られないよう」って、それを作ったの、東さん。勝手にアジェンダ設定して人(芸術監督の津田大介さんのこと)のせいにしないでよ。

 

不買運動で 「言論封殺」 できるんだ

DHCテレビが、以下のようなリリースを。

 

「韓国メディアによるDHC関連の報道について」(2019年8月14日)*1

 

それによると、

番組内容と無関係なDHC商品について、韓国の誠信女子大学の徐敬徳教授を中心に、「#さよならDHC」なる不買運動が展開されていることは大変遺憾に存じます。/言うまでも有りませんが、韓国DHCが提供する商品やサービス、現地スタッフと、DHCテレビの番組内容とは直接何ら関係はありません

 

とのこと。

 

DHCテレビジョンは、株式会社DHCの関連会社であることは、*2(株式会社DHC 会社概要・沿革)を参照のこと。

 

だから、不買運動は、ハズレてはいない。

 

一方、*1にある以下のコメントには、失笑。

そうした常識(上記引用(「番組内容と無関係な」以下の)のこと。筆者補足)を超えて、不買運動が展開されることは、「言論封殺」ではないかという恐れを禁じ得ません  

 

不買運動、懲りてるんだ。当ブログでも呼び掛けてやろうか? されたくなければ放送内容を改めればいいのに。

 

化粧品メーカーの言論など所詮そんなものである。

 

なお、不買運動レベルでは、何ら「『言論封殺』」(*1)ではない。買う買わないは消費者の自由だからである。

 

*1 

https://dhctv.jp/information/2019-08-14-328672/

 

*2 

https://top.dhc.co.jp/company/jp/cp.html

脅迫犯 捕まったから 再開だ(日本なら 脅迫すれば 楽勝だ(2))

 

時事ドットコム「市民団体「再開を」=少女像の企画展中止で」(2019年8月7日19時15分。

 

www.jiji.com

)によると、「国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、従軍慰安婦を象徴する少女像を展示した企画展が中止となった問題で、市民団体などが7日、衆院議員会館で緊急集会を開き、中止撤回と展示の再開を求める声明を発表した」という。

 

当然のことである。脅迫犯も逮捕されたんだし(朝日新聞デジタル「表現の不自由展に脅迫ファクス送った疑い、会社員を逮捕」(田中恭太、山本知佳 2019年8月8日0時40分〉を参照(下記)。

www.asahi.com

 

しかし、現時点では、再開の動きは、ない。

 

そうなると、朝日新聞デジタル「海外作家「不自由展中止は検閲」 展示休止や保留相次ぐ」(江向彩也夏、前川浩之 2019年8月14日18時20分)に書いてあるような動きが出てくる。

www.asahi.com

すなわち、「海外作家が作品公開の「保留」を求めたり、作品展示が「休止」とな」るといった動きが出る。なお、その記事には「書簡は企画展の中止を「検閲」と批判」とあるが、日本の法体系では、事前に発表を禁じているわけではないから、検閲には当たらない。しかし、「脅迫ファクスなどの安全上の理由で中止した判断に「同意しない」とし、警察など「対応すべき当局がスタッフや来場者らの安全を保護することが芸術祭の責任だ」と訴え」たことは全く正しい。

 

ある表現行為に対する反応など、究極的に読めはしない。必要以上に恐れるのではなく、警察などが最善の対応をし、企画展を開催すべきである。もし犯罪行為が起こったならば、一義的に犯罪者が悪いのである。

 

このままではテロに屈する社会になってしまう。

国士気取りの 内田恭司が ボロを出し

ネットサーフィンをしていたら、47NEWS「日韓関係、さらなる悪化は不可避
安倍政権は対韓政策練り直しへ」(2019年8月13日12時34分。*1)と題した記事が出ていた。本エントリーではこの記事を検討する。

 

まず、「日本側の受け止めは冷静だ。政府高官は苦笑しながら「文在寅が本性を現してきた。核を持つ北朝鮮と『高麗連邦』をつくり、日本に勝つ夢を公然と言い始めた。李舜臣安重根にでもなったつもりなのだろう」と話す」が冷静さを欠いている。冷静なのは「「加害者の日本が大声を上げている」「今後起こる事態の全責任は日本にある」などの発言」の方。当ブログ「誤解により 対韓感情 厳しいよ」

kiyotaka-since1974.hatenablog.com

ならびに、「韓国だけ 除外の理由 怪しいぞ」をご一読。

 

kiyotaka-since1974.hatenablog.com

 

記事を読み進めると、「日本政府関係者は、輸出許可について「中国、台湾向けは4~6週間で出る。韓国向けは5週間で出たにすぎない」と、単に事務手続きを進めただけだと強調する」とあるが、滅茶苦茶な話である。「またしても 韓国なんかに 惨敗か」に書いたが、中国(おそらく、台湾を含む)は国際的輸出管理レジーム全てにに参加しているわけではないことを確認されたし。

 

kiyotaka-since1974.hatenablog.com

 

さらに読み進めると、「そもそも、双方の立場に違いがありすぎる。元徴用工訴訟を巡り「1965年の日韓請求権協定により解決済み」だとする日本の主張は、51年のサンフランシスコ平和条約にたどり着く。/協定は、第2次大戦後の国際秩序を規定した同条約を根拠としており、この枠組みに異を唱えれば、他の国々にも波及するというのが日本政府の理解だ」とあるが、韓国の大法院の判決は「請求権協定の適用対象に含まれるとはいえない」なわけだから、とんちんかんな理屈である。「日本人が 韓国人を 襲うって?」をご一読。

 

kiyotaka-since1974.hatenablog.com

記事をさらに読み進めると、「実は7月中旬以降、政治レベルを含めた水面下の対話で、元徴用工訴訟問題の打開策として「謝罪すれば日本側に補償は求めない」との線が浮上した」という。しかし、これは、三菱マテリアル事件等の、中国人強制連行の和解に比べて、原告に酷である(日本企業の賠償は当然である)。「強制連行 中国人に 先例が」をご一読。

 

kiyotaka-since1974.hatenablog.com

 

記事を読み進めると、「日本側は、これまでの対応から透けて見えるように、既に今後の展開を見越して対韓政策の練り直しにも着手している。①韓国はホワイト国に再指定しない②韓国大法院が資産売却手続きに入れば輸出管理強化の品目を追加する」という。となると、一連の輸出管理の問題って、やっぱり徴用工判決の報復だったんですね(②について。「資産売却手続き」と「輸出管理強化の品目を追加する」ことは、別の話。後者は(2019年8月14日22時40分修正)そもそもは軍事転用の問題だったはず)、ということである。「韓国だけ 除外の理由 怪しいぞ」(前述)をご一読。

 

予想を書くのは勝手だが、知識不足ゆえ、共同通信の内田恭司さんは、日本政府のちょうちん持ちにすぎず、記者の仕事を放棄してしまったと認定していい。速やかな退職を求めたい。

 *1 https://this.kiji.is/533842584420385889

親日が 韓流好きも 矛盾なし

朝、紙の読売新聞(2019年8月11日統合版13版7面。ウェブでは発見できなかった)を読んだら、「ワールドビュー 台湾 自然体の親日」(台湾支局長 杉山祐之。以下、①)と題した記事が、筆者の最近の流行音楽に関する心情をぴったり表す言葉があったので、取り上げる。

 

①によると、「台北の繁華街にある韓国ブランドのブティックで、女性店員が笑顔で話した。/『台湾女性の多くは、韓流アイドルが来ている服にあこがれます。日本のアイドルの衣装は、なんだかアニメみたいで……』」

 

「韓国ブランドのブティック」で働いているのを差し引いても(その必要はないだろうが)、「『日本のアイドルの衣装は、なんだかアニメみたいで……』」、日ごろから筆者が思っていることである。

 

筆者が日本の(J-POPの)女性グループを、韓国のそれに比べてあまり好きになれないのは、衣装などの見せ方が好きではないからである。

 

思いつくままに書くと、秋元系は実年齢がどうあれ幼い衣装だし(AKBグループの、それこそアニメみたいな衣装も、坂道シリーズの中高生の制服っぽい衣装も)、ももいろクローバーZ東映特撮ものみたいな衣装も子どもっぽいし(なお、東映特撮もの(テレビ朝日)の「秘密戦隊ゴレンジャー」の衣装は由緒あるものである(白波五人男から来ている))。

 

それに比べて(比べる必要はないが、あえて)、例えばWeki Mekiは、音楽もカッコイイが(筆者はそれを重視する)、ミュージックビデオもカッコイイ。

 

筆者は、Weki Mekiを、スカパー!無料の日でたまたまやっていた「ミュージックバンク」で観た「Picky Picky」(YouTubeにミュージックビデオがある。


Weki Meki 위키미키 - Picky Picky M/V

 

)で知ったが、調べてみると、彼女たちのデビュー当時のコンセプトは「ティーンクラッシュ」だそうだ(ウィキペディア「Weki Meki」より。https://ja.wikipedia.org/wiki/Weki_Meki

)。その時の楽曲のひとつが、「I don't like Girlfriend」である。


Weki Meki 위키미키 - I don't like your Girlfriend M/V

 

韓国の若い(幼い?)人たちだって(失礼承知)これだけカッコいいわけだから、韓国ブランドのブティックの女性店員でなくても憧れますわな。

 

本エントリーは、Weki Mekiの紹介の意図ではないが、年齢が若く(幼く)、そのうえカッコイイことの一例として取り上げた。

 

①に戻ると、「台湾人が日韓のアイドルを比較し、韓国に軍配を上げると、少し胸がざわついた。/自分の心にある『台湾人は親日』という固定観念が刺激されたのだろう」と続くが、「『台湾人は親日』」はある意味絶対評価で(他と比較せず)、それは韓国のアイドルが好きであることと両立する。つまり、日本が好きだから、韓国が嫌いだ、とはならない。筆者の考えは普通だと思うが、杉山さんはそう考えなかったのだろうか?たしかに①の最終段落で「歴史に根ざす中韓の『反日』に疲れる日本人の一人」とあり、杉山さんもそうだろうが、実際は、歴史に根ざさない保守の歴史否定に疲れているだけかもしれないな、筆者みたいに。

 

 

 

 

テロO.K. 展示はダメが 読売流

はてなさんに移籍しての(タイトルもマイナーチェンジ。旧タイトルは「清高の ツイッターでは ダメなニュース」)最初のエントリーは、読売新聞ウォッチ。

 

筆者は紙で読売新聞を読んでいるのだが、2019年8月9日社説「愛知企画展中止 主催する側にも甘さがあった」(以下、「社説」と表記)

www.yomiuri.co.jp



のタイトル、内容の限りでは、テロO.Kと解釈されかねないことを、以下において検討する。

 

まず、あらかじめお断りしておくが、社説には「表現活動をテロや脅迫で封じ込めようとする行為は、断じて許されない。まず、このことを明確にしておきたい」と書いてある。しかし、本エントリーもそうだが、文章一般として、タイトル、文頭、文末が大事なので、そうでないところでいくらエクスキューズしても意味がない。したがって、以下において、タイトルに問題がないことも明らかになろう。

 

戻って、以下において「社説」を引用しつつ検討する。

 

「公的な性格を持つ芸術祭の運営に、問題を投げかけたと言えよう」って、「いわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像に対し、『撤去しないとガソリン携行缶を持ってお邪魔する』と書かれたファクスなどが送りつけ」たことがか?テロが問題を投げかけたの?日本は一応自由主義諸国なのだから、そういうことを書いちゃいけないだろうな。

 

「特定の政治的メッセージを感じさせる作品だった」かは主観だから放っておくとして、「不特定多数の鑑賞者が想定される展覧会で、政治性の強い作品を、それを批判する側の視点を示さずに、一方的に展示すれば、行政が是認している印象を与えかねない。作品を不快に感じる人たちの反発をあおる可能性もある」とあるが、「政治性の強い」って誰が決めるの? 「作品を不快に感じる人たちの反発をあおる」って、それは表現行為全てがそうなわけで、それを気にしたら表現行為はまったく成り立たなくなる。

 

「展示作品が物議を醸すことが予想されたのに、反発を感じる人への配慮や作品の見せ方の工夫について、検討が尽くされたとは言い難い」も何も、どんな作品でも反応を究極的には予想することはできないわけで、繰り返しになるが、それを気にしたら展覧会は全くできなくなる。

 

「主催者側の想定の甘さと不十分な準備が、結果的に、脅迫を受けて展覧会を中止する前例を作ったとも言える。その事実は重く受け止めなければならない」って、仮に十分なら脅迫が防げたというのか?もしそうなら具体的に何? 読売新聞が受け止めなければならないことは、表現行為に関していかなる脅迫もしてはいけないということだろう(正当な抗議との区別は難しいが、「『撤去しないとガソリン携行缶を持ってお邪魔する』と書かれたファクスなどが送りつけられた」ことを正当化することは全くできない)。

 

読売新聞の今日の社説は、テロは場合によってはO.Kだが(「公的な性格を持つ芸術祭の運営に、問題を投げかけた」効果があったと認定したので)、展覧会はしてはいけない(「作品を不快に感じる人たちの反発」をすべて是認しているから。テロであってもというのも既述)、というのが結論のようだが、こういうのは地球には向いていないので、廃業しかないんじゃないか?

 

なお、念のため。例えば作品が犯罪や不法行為の場合は、告訴したり、裁判をすればいいだけである。また、「作品を不快に感じる」くらいでは法的保護に値しない場合が多いことも付け加えておく。